
一方 フェラーリ が公開されました。 新型849テスタロッサフェラーリ初のテスタロッサ・タルガ。というのも、マラネロとの法的問題を避けるため、このプロジェクトを手がけた独立系コーチビルダーは、自分の作品を「グイダ・ツーリング・スポーツ」と呼ぶことにしたのだ。
ニールス・ファン・ロイ・デザインは、カスタム・コーチビルドを専門とするオランダのスタジオである。フィアット・パンダ4×4をラグジュアリー仕様に変身させたり、フェラーリ550マラネロをベースにしたブレッドヴァン・オマージュなど、一風変わったプロジェクトを手がけてきた。今回、ニールス・ファン・ロイは1980年代の絶対的アイコンのひとつ、フェラーリ・テスタロッサに挑んだ。
決して存在しなかったテスタロッサ・タルガ
1984年のパリモーターショーで発表されたテスタロッサは、そのシルエットと4.9リッターフラットツインV12エンジンで、この時代にその名を残した。しかし、非常に希少な512 TRスパイダーなど、いくつかの公式スパイダーは生産されたものの、フェラーリがタルガ・バージョンを生産することはなかった。
このプロジェクトはそのギャップを埋めるものだ。アンドラ在住の英国人エンスージアストの依頼を受け、ニールス・ヴァン・ロワはクーペのラインを変えることなく、シートの上にあるルーフを取り外すことに挑戦した。

そのためにボディビルダーは、ドアシル、センタートンネル、リアパーセルシェルフ、ダッシュボードを補強する大規模な作業を行った。 固定ルーフがないにもかかわらず、剛性を同じレベルに保つためには、3,000時間以上の作業が必要だった。


なぜテスタロッサと呼ばないのか?
テスタロッサという言葉は、スタジオのオフィシャル・コミュニケーションには登場しない。このモデルは「1984年を象徴するV12クーペ」として紹介されている。その理由は簡単で、フェラーリは自社のクルマを改造することに寛容ではないし、その名前を使って独自に創作したクルマを宣伝することにも寛容ではないからだ。私たちは皆、このモデルをめぐる法廷闘争を覚えている。 ケーニッヒ・スペシャルズ コンペティション・エボリューションこのプロジェクトは、リスクを回避するためにグイダ・ツーリング・スポーツ(GTS)と名付けられた。リスクを避けるため、このプロジェクトにはグイダ・ツーリング・スポーツ(GTS)という名前が与えられた。

1980年代へのオマージュ
堂々としたサイド・エアインテーク、逞しいスターン、縦長のリアウィンドウ......など、伝説を作り上げた重要な要素はそのままに、オープンエアでV12エンジンのマジカルなサウンドを楽しむことができるようになった。

ダッシュボード、ドアパネル、アルミ削り出しのレバー、ルーフパネルを収納するオーダーメイドのバッグなど。細部に至るまで、まるでオートクチュールのような仕上がりだ。

手描きのドローイング、彩度の高い色調のレトロな写真、さらには車のボディワークを彷彿とさせるラインをあしらったオーダーメイドのスーツなどである。
コンクール・デレガンスで世界初の快挙
2025年9月12日から14日まで、マリエンヴェルトで開催された権威あるホイール・コンクールにて、グイダ・ツーリングスポーツの一般初公開が行われた。このワンオフモデルは、スポンサーの所有物であり、非公式に世界で唯一のフェラーリ・テスタロッサ・タルガとして、唯一無二の存在であり続ける。